仏教の発祥はどこ?インドで仏陀により開かれました

仏教の発祥について

仏教の発祥はどこ?インドで仏陀により開かれました

1.仏教はインドで仏陀により開かれる

仏教は紀元前5世紀頃、仏陀によって開かれました。2020年現在より、約2500年前程前に開かれたことになります。
開祖仏陀はさまざまな名前で呼ばれています。仏陀、ゴータマ・シッダールタ、釈迦、釈尊など、全て仏陀の名前です。
仏陀という名前は「悟った者、真理に目覚めた者」という意味を持っています。仏陀はもともと、ネパール南部とインド国境近く「カピラヴァストゥ」という小国を治めていたシャカ族の王子として生まれました。
王子として何不自由なく暮らしていましたが、老い、病、死などに触れ、同時に貧しいながら充実した表情の修行僧と出会ったことで、出家することを決意したのです。それが29歳の頃といわれています。

2.菩提樹の下で悟りを開く

仏陀は悟りを開くまでに、二人の長老の影響を受けています。アーラーラー長老と、ウッダカ長老です。
アーラ-ラ長老は、煩悩や執着を捨てること、ウッダカ長老からは無念無想の境地を学びました。修行により長老たちと同じ境地に達した仏陀は、さらに苦行を続けます。
しかし、座禅、断食など苦行を続けましたが悟りは開けなかったのです。次に仏陀が行ったのは、菩提樹での瞑想でした。苦行ではなく、極端を排除する中道を選び、菩提樹の下で「悟りを開かないうちは離れない」と決めて瞑想をはじめたのです。そして7日目の明け方、仏陀は悟りを開きました。

3.バラモン教を飲み込み仏教は大きくなっていく

仏陀が生きていた時代はバラモン教が主流でした。バラモン教は、階級制度、カースト制度に基づいた教えが特徴です。
カースト制度では、先住民が最下層、一番上は司祭社や王侯貴族階級でしたが、仏教は不満や疑問を持っていた人の救いとなりました。やがて、仏陀の教えを受けた人が出家し、サンガという仏教集団が生まれたのです。その勢いはバラモン教を飲み込むほどでした。
80歳となり年老いた仏陀は、死期を予感しクシナガラ(あるいはクシーナガル)の沙羅双樹の根本を寝床にし、入滅しました。
仏陀が亡くなった以降も弟子たちは布教し、前3世紀のマウリア朝アショーカ王が保護するなどの経緯もあって仏教はインド全体に広がったのです。

4.仏教は複数の部派に分かれる

仏陀が入滅して約百年が経過する頃、戒律や協議の解釈が原因で仏教教団は保守派の上座部と進歩派の大衆部という2つの派閥に分かれました。
以降、200年もの間、派閥は分裂を繰り返し、インドで18部もの部派が生まれています。
アショーカ王が主に保護したのは保守的な上座部仏教で、前3世紀半ばにスリランカに伝えられて、南伝仏教となったといわれています。上座部仏教は東南アジアで広がりました。
日本に仏教が伝えられたのは、538年頃、欽明天皇の時代とされています。中国では南北朝の時代です。
仏教の伝来は日本に混乱を招きました。いわゆる仏教と神道の対立です。歴史の教科書でも名前が出る物部氏は、受け入れに否定的でした。積極的に受け入れようとしたのが渡来人系といわれる蘇我氏です。
この対立で蘇我氏が勝利したため、仏教は日本に広がりました。推古天皇や聖徳太子も仏教を重んじ、政治にもその精神を反映させたのです。とくに聖徳太子が推進しており、大きく発展しました。
奈良時代に入っても仏教は衰退することなく国家仏教として、朝廷に保護されたのです。

まとめ

仏教は仏陀によって開かれました。以降、日本にも伝来し、現在でも日本人の価値観に影響を与えています。仏陀によって開かれた仏教は、中国、百済を経て日本に伝来しました。
また、日本の仏教に大きな影響を与えたのは、平安時代の僧侶、最澄と空海という二人の天才でしょう。唐に渡った最澄と空海は、仏教を学んで帰国しました。仏教を積極的に布教し、鎮護国家の成立を助けたのです。最澄と空海をこの時代のライバルと捉える人も少なくありません。
最澄は天台宗、空海は真言宗であり、平安仏教でも代表的な僧侶といえます。また、平安時代だけではなく、以降の日本における仏教に大きな影響を与えたのは間違いありません。現在、日本の仏教は日本人の生活に溶け込んでいます。